『人間性の回復を求めて』 神は人をご自身のかたちとして創造された

小平聖書キリスト教会牧師 遠藤勝信

「…何と、しばしば、私たちクリスチャンも、私たちに注がれている神の御恵みを誤解し、それがあたかも、罪に関する事柄から私たちを免除していると考えてきたことでしょう。特に、神はご自身の主権を持って、それぞれの救いにおける回心を、終わりの日まで保持されるという確信を共有しているクリスチャンたちの間に、その危険が潜んでいます。神の究極的な関心は私たちに対する祝福にではなく、寧ろ神御自身のご栄光に向けられているという事実。すなわち、神の義は神が私たちをお救いになられるときと同じように、神がお裁きになられるときにこそ見事に表されるのだという事実を、私たちは容易に忘れてしまうのです。私たちは、神の契約の上に立ちたいと願います。そして、そのことは全く正しいのです。しかし、忘れてはなりません。神は御自身の豊かな御恵みによって神の民を祝福されるとお約束になられたように、その罪に対してはお叱りになり、それを懲らしめることをも、そのお約束の中に含んでおられるということを。それは、旧約聖書だけでなく、新約聖書においてもそうなのです。」(The Epistle to the Romans, 196-97)

 真の人間性の回復が与えられるために、神ご自身が救いをいただいた私たちのうちに日々働いていてくださることを忘れず、私たちもその神のみわざに期待し、あずかりたいと願います。



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